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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)75号 決定

抗告人 権藤ミネヨ 外1名

相手方 小手川吉枝

事件本人 権藤民雄 外1名

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を宇都宮家庭裁判所大田原支部に差し戻す。

理由

(抗告人らの主張)

抗告人らは、主文と同旨の裁判を求めたが、その理由の要旨は次のとおりである。

一  本件は離婚の際に単独親権者と定められた亡権藤英雄が死亡した後に生存する他方の親である相手方を親権者に変更したものであるが、右の如く、単独親権者が死亡した場合には、民法838条の規定に従い、後見が開始するのであり、後見人を選任することなく親権者変更の審判をした原審判は、右規定に反するもので違法である。

二  また仮に右主張に理由がないとしても、本件は次の理由により、親権者の変更をなすべきでなく、後見人の選任を相当とする。

1  事件本人らの両親が協議離婚したのは昭和55年5月13日のことであるが、当時事件本人権藤民雄(以下「民雄」という。)は8才、同権藤昌英(以下「昌英」という。)は5才であつた。したがつて、通常なら協議離婚に際し、親権者は母親である相手方と定めるべきところ、同人は好きな男ができ、これに目がくらんで協議離婚に至つたので、親権者を父親である亡権藤民雄と定めたものである。

2  抗告人権藤ミネヨは事件本人らの伯母であり、抗告人権藤弘はその夫であるが、同人らは、昭和55年7月に事件本人らを引き取り以来6年余父母に代つて監護教育してきている。この間抗告人らは事件本人らを実子と全く同様に待遇し、事件本人らは抗告人らのもとにおける良好な生活環境下で新しく友人を作るなど問題なくすくすくと成長しており、来春はそれぞれ高等学校及び中学校に進学するまでに至つている。

事件本人らは、学業成績がともに良好で、将来大学進学を望んでおり、抗告人らも同人らを大学に進学させるため経済的及び精神的援助をする覚悟でいる。

3  そして、事件本人らもまた抗告人らを実の両親同様に慕い、抗告人らのもとで引き続き養育されることを強く望んでおり、相手方を慕つておらず、同人に養育されることを全く望んでいない。

4  一方相手方は、昭和55年12月6日現在の夫小手川栄と再婚し、子供をもうけて生活しているが、離婚以来何一つ事件本人らの監護教育をしていない。

5  右のとおり、事件本人らの生育歴、現在の生活環境を考察すれば、相手方を親権者とし、事件本人らの生活環境を大きく変えることは、同人らの精神面に悪影響を及ぼすこと明らかである。

6  なお、抗告人権藤ミネヨは、本件申立てに先立つ昭和59年1月宇都宮家庭裁判所大田原支部に後見人選任の申立てをし、現に右事件は同裁判所に係属している。

7  右のとおり、本件は親権者変更を行うべきではなく後見人選任を行うのを相当とする。

三  よつて、原審判の取り消しを求める。

(当裁判所の判断)

一  抗告人らの抗告理由一について

民法は、後見と親権とを区別して規定するが、父または母の監護教育の職分はできるだけ親権者として行使させることが国民感情に適するから、未成年者の監護教育については、親たるものの保護を原則とし、未成年者後見は補充的なものと解される。したがつて、親権者として定められた一方の親が死亡した場合に、生存する親が親権を行使することが当該未成年者の福祉にそうときは民法819条6項の規定を類推適用して親権者変更をなすことができるものと解するのを相当とする。

右と見解を異にする抗告理由一は採用することはできない。

二  抗告人らの抗告理由二について

1  当審における抗告人権藤弘、事件本人ら、相手方の各本人審問の結果並びに一件記録によれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一) 亡権藤英雄と相手方は昭和45年11月24日婚姻し、同人らの間に事件本人である長男民雄(昭和46年7月19日生)、同二男昌英(昭和49年8月25日生)が出生した。そして亡権藤英雄と相手方は昭和55年5月13日事件本人らの親権者を父である英雄と定めて離婚したが、当時民雄は8才、昌英は5才であつた。

(二) 亡権藤英雄は離婚した後、親権者として、姉である抗告人権藤ミネヨ及びその夫である抗告人権藤弘に事件本人らの監護教育を依頼し、抗告人らは、相手方の意見も聞いた上で間もなく事件本人らを引き取り、以来同人らを監護教育している。

(三) 亡権藤英雄は昭和58年12月24日胃がんで死亡したので、抗告人権藤弘は昭和59年1月後見人選任の申立てをしたところ、相手方は同年2月裁判所からの通知でこれを知り、同年11月15日本件親権者変更の申立をなし原審判がなされた。

(四) ところで、抗告人らには一男三女があるが、すべて大学をでて昭和55年1月までに結婚して独立し、現在抗告人らは建坪50坪弱の家に事件本人らと4人で住み、財産もあり安定した生活を送り、事件本人らは順調に生長している。そして、原審判がなされたとき、事件本人らは抗告人らからその趣旨を聞かされたところ事件本人らは「殺されても行かない。」と述べたので、抗告人らは自分のもとで事件本人らを育てる決心をいよいよ固くした。事件本人らは将来は大学まで行くことを希望し、抗告人らも大学まで行かせる予定にしている。

(五) また事件本人らは、来春はそれぞれ高等学校及び中学校に進学する予定になつているが、小さい時から抗告人らのもとで育ち、友達もでき、その環境の中で育つたもので、今更相手方と一緒に暮すことを全く望んでいない。

(六) 相手方は昭和55年12月6日現在の夫小手川栄と婚姻し、2人の間に長女由香(昭和56年10月1日生)、長男正(昭和58年6月19日生)が生れ、年収約400万円、ローンで買つた土地建物に住み、月々9万円程度の支払をしながら暮しているが、事件本人らとの接触は全くなく、相手方は親として事件本人らに愛情を持ち、同人らを育てなければならないと考えてはいるものの、事件本人らが抗告人らのもとで育つよりも相手方のもとで育つことが事件本人らの福祉のためになるという特段の具体的な理由は見当らない。

2  右認定の事実によると、事件本人らは、8才及び5才という幼い時から抗告人のもとで育ち、友人を作るなど新しい環境のもとで暮しているのであるが、現在の生活は安定したものと認められるところ、民雄15才、昌英12才という動揺しやすい多感な年ごろにおいて、父を異にする妹、弟と共に、新しい生活を始めることの心身に及ぼす影響を考えると、他に特段の事情の存しないかぎり、事件本人らの意思に反してまで親権者変更をなし相手方を親権者とすることが事件本人らの福祉にそうものとはいい難いところ、右特段の事情について十分な検討をしないで親権者変更を認めた原審判は失当であるといわざるを得ない。

三  よつて、本件抗告は理由があるから、家事審判規則19条1項に従い、原審判を取り消し、前記の特段の事情の存否につき更に審理を尽させるため本件を宇都宮家庭裁判所大田原支部に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 柳川俊一 裁判官 三宅純一 林醇)

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